紅梅町・オリオン通りの歴史

~紅梅町の発展 その①
明治36年(中央線が開通した年)頃、紅梅町には医者が内科、外科、胃腸科、皮膚科、歯科など併せて9件、料亭にいたっては12件が建ち並び、医者と料亭の町といわれ、夜になると三味線の音が流れるような粋な町並みでした。当時の人は甲府駅から、右記のように通り中心街へ出て、観光や食事、買い物や映画を楽しみました。
【地図】人の流れ(大正15年当時)

~紅梅町の発展 その②
大正15年東京電力の前から紅梅通りの間に右記のように新道が開設され、商業学校・農林学校・伊藤学院の生徒達の通学路となり、その後一般の人々が繁華街への近道として利用したことで通行量が増え、そこに目をつけた㈱岡島百貨店が若尾邸の常磐町通り角を買収出店し、紅梅町は様変わりし始めました。
しかし、昭和20年8月の甲府大空襲により市街は焼け野原と化し、それは紅梅町も例外ではありませんでした。
昔を知りたい人はどうぞ~!
町並イラスト昭和初期のオリオン通り 正面の建物は甲府電力(現東京電力山梨支店)
~紅梅町の発展 その③
戦後、焼け野原であるこの地区の東電前通りに面する所有地に集合貸店舗を建て開放しました。ここを原動力に、新道は商店街化に向かい動き出しました。
紅梅町家並図(昭和22年当時)
前へ
次へ